☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
意外と知らない着物の話し
第100号 2011/9/21
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
突然ですが、みなさんにお知らせがあります。
今まで隔週で発行してきた当メルマガですが、今後は
不定期とさせていただき、内容もリニューアルする
こととなりました。
今後は、私が街で見かけた着物の着こなしや
コーディネートで、グッときたものについて紹介して
いく予定です。
まぁ、着物版のファッションチェック、とでも
いいましょうか(笑)
ビギナーさんにとっては「悩みの種」ともいえる
着物のコーディネート。
そんな悩めるビギナーさんたちの、少しでもお役に
立てれば、と思っております。
私が見て感じたことを、タイムリーにお伝えするため、
不定期発行とさせていただくこと、ご理解ください。
今後とも、当メルマガをご購読いただければ幸いです。
今日のテーマ===========
■伊勢崎絣〜その2〜
==================
農家の自家用として織られ、素朴で丈夫が”売り”の
「太織(ふとり)」の人気は伊勢崎のみならず、江戸や
大阪、京都へと広がっていきました。
自家用から商品用へと需要が移り、当然、生産量も
大幅にアップします。
そんな中で織物関係の専門業者がかかわるようになり、
品質改良が行われました。
その結果、「素朴な味わい」が魅力だった太織は「洗練
された絣(かすり)模様」が魅力の、とても繊細な織物
へと姿を変えていったのです。
でもここで、私などは「ちょっと待って!」と思って
しまう訳です。
いくら”改良”とは言え、需要と異なった商品を提供して
消費者はついてきてくれるの?
結局のところ、消費者がついていったと言うよりは、
消費者をリードしたんじゃないかと思います。
この改良を勧めた業者、よほど先見の明に長けていたか、
それともしっかりした戦略を持っていたのか。。。
この繊細な織物は、明治時代の中ごろから「銘仙
(めいせん)」と呼ばれるようになり、一世を風靡する
こととなったのです。
今でも「伊勢崎の織物といえば銘仙」というイメージが
少なからず定着しているのですから、当時の人気の
凄さがうかがえます。
銘仙は絣の技法をますます進化させ、やがて「伊勢崎絣」
と呼ばれるようになり、1975年には国から「伝統工芸品」
として指定されるまでになりました。
ただ、戦後の生活スタイルの変化にともない、生産量は激減
しているのが現状です。
これは「伊勢崎絣」だけが直面している問題ではありません。
日本の伝統と呼ばれる大切なものが、数多く存続の危機にある、
ということを忘れてはいけない、そう思うのです。
どうしたら良いのか、答えは見つからないけれど、せめて
忘れないでいたい、と。。。
*最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 *
*また近いうちにお会いしましょう。 *
2011年09月21日
2011年09月07日
伊勢崎絣
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
意外と知らない着物の話し
第99号 2011/9/7
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
最近ちょっと気になっている物があります。
それは「防災ベスト」。
その名の通り、防災用のベストです。
ポケットがたくさん付いていて、軍手やマスク、
懐中電灯やタオルなどをポケットの中に常備
しておけば、緊急時にベストを着るだけで外に
飛び出せる、というわけです。
価格は千円前後から一万円以上まで、かなり幅が
あり、素材もまちまちです。
本当は、緊急時なんて来ないのが一番。
でも、今の日本ではそんなのんびりしたことを
言っていられないのが現実です。
どんなに備えたつもりでも、”憂い”はなくなり
そうにありませんが、できることはやっておきたい、
やっておかなければ、という気がしませんか?
今日のテーマ===========
■伊勢崎絣
==================
群馬県の織物といえば、まず桐生市が頭に浮かぶ
という方が多いのではないでしょうか?
でも、伊勢崎市だって負けていないのです。
テーマにある「伊勢崎絣」に首をかしげる方も、
「銘仙(めいせん)」といえばピンとくるかも
しれませんね。
アンティークショップなどでは今も人気の「銘仙」は
伊勢崎絣の前身といってもいいでしょう。
そしてさらに前身となる織物があったのです。
それは「太織(ふとり)」と呼ばれるものでした。
群馬県伊勢崎市は、古くから養蚕(ようさん)の
盛んなところで、江戸時代には織物や生糸の売買も
多く行われていました。
そんな中、蚕を育てる農家では、売れ残った繭(まゆ)
を使い、その糸を紡いでは、自分たちの着物を作って
いたのです。
これこそが「太織(ふとり)」で、ざっくりとした素朴な
風合いに渋い縞柄、そしてとても丈夫、という特徴を
持った織物でした。
こうして「自家用」として織られていた太織ですが、
やがて庶民の間で人気が高まります。
その人気は伊勢崎に留まらず、江戸や大阪、京都にまで
出荷されるほどになったのです。
さて、銘仙ファンのみなさま、ちょっと「変だなぁ?」と
思われているかもしれませんね。
私たちが知っている銘仙は繊細で艶やか、どちらかといえば
「お洒落着」のイメージですものね。
その前身が素朴で丈夫な「太織」と言われても、どうも
つながらない。。。
そう、自家用から商売用へと需要を拡大させた太織は、
ここで大きな転換期を迎えることとなったのです。
どんな転換だったのか。。。
その先はまた次回お話しすることにしましょう。
どうぞお楽しみに(^^)
*最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 *
*二週間後にまたお会いしましょう。 *
意外と知らない着物の話し
第99号 2011/9/7
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
最近ちょっと気になっている物があります。
それは「防災ベスト」。
その名の通り、防災用のベストです。
ポケットがたくさん付いていて、軍手やマスク、
懐中電灯やタオルなどをポケットの中に常備
しておけば、緊急時にベストを着るだけで外に
飛び出せる、というわけです。
価格は千円前後から一万円以上まで、かなり幅が
あり、素材もまちまちです。
本当は、緊急時なんて来ないのが一番。
でも、今の日本ではそんなのんびりしたことを
言っていられないのが現実です。
どんなに備えたつもりでも、”憂い”はなくなり
そうにありませんが、できることはやっておきたい、
やっておかなければ、という気がしませんか?
今日のテーマ===========
■伊勢崎絣
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群馬県の織物といえば、まず桐生市が頭に浮かぶ
という方が多いのではないでしょうか?
でも、伊勢崎市だって負けていないのです。
テーマにある「伊勢崎絣」に首をかしげる方も、
「銘仙(めいせん)」といえばピンとくるかも
しれませんね。
アンティークショップなどでは今も人気の「銘仙」は
伊勢崎絣の前身といってもいいでしょう。
そしてさらに前身となる織物があったのです。
それは「太織(ふとり)」と呼ばれるものでした。
群馬県伊勢崎市は、古くから養蚕(ようさん)の
盛んなところで、江戸時代には織物や生糸の売買も
多く行われていました。
そんな中、蚕を育てる農家では、売れ残った繭(まゆ)
を使い、その糸を紡いでは、自分たちの着物を作って
いたのです。
これこそが「太織(ふとり)」で、ざっくりとした素朴な
風合いに渋い縞柄、そしてとても丈夫、という特徴を
持った織物でした。
こうして「自家用」として織られていた太織ですが、
やがて庶民の間で人気が高まります。
その人気は伊勢崎に留まらず、江戸や大阪、京都にまで
出荷されるほどになったのです。
さて、銘仙ファンのみなさま、ちょっと「変だなぁ?」と
思われているかもしれませんね。
私たちが知っている銘仙は繊細で艶やか、どちらかといえば
「お洒落着」のイメージですものね。
その前身が素朴で丈夫な「太織」と言われても、どうも
つながらない。。。
そう、自家用から商売用へと需要を拡大させた太織は、
ここで大きな転換期を迎えることとなったのです。
どんな転換だったのか。。。
その先はまた次回お話しすることにしましょう。
どうぞお楽しみに(^^)
*最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 *
*二週間後にまたお会いしましょう。 *
2011年08月24日
会津木綿
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
意外と知らない着物の話し
第98号 2011/8/24
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
我が家はみな大の果物好きです。
今の季節は桃ですね〜!
先日、福島の桃をもらいました。
福島のスーパーで自宅用に買ってきた、という桃の
おすそ分けです。
都心では考えられないような安さで、しかも「セシウム
未検出につき、安心してお召し上がりください」という
看板がでているにもかかわらず、大量の桃に手を出す
お客はない。。。
というか、店内そのものに客がいない!?
そんな状況だったそうです。
福島の桃は、果肉が柔らかくて甘味が強く、水分が
たっぷりで、とにかく美味しい!!
今回の桃もペロリです(笑)
こんなに美味しい桃が、もし売れ残って廃棄処分、
なんてことになったら、農家じゃなくても悲しい(涙)
そのスーパーが近かったら、毎日のように通って
桃三昧できるのになぁ。。。
今日のテーマ===========
■会津木綿
==================
「正絹はちょっと敷居が高いな。。。」
というビギナーさんにとって、木綿の着物は強い味方
ですよね。
木綿は天然の素材でありながら、絹よりも価格が安く、
自宅で洗うことができ、しかも気取らずに着ることが
できる、という木綿特有の風合いがあります。
そのため、ビギナーさんだけでなく”ベテラン組”の
中にも、根強いファンが大勢いるのです。
木綿の着物が地域産業の一つとして根付いたのは
江戸時代のことです。
福島県会津若松市も、木綿織物に力を注いだ地域の
一つでした。
1627年、会津藩主となった加藤嘉明(かとうよしあき)
は、それまで自身が治めていた伊予松山(愛媛県)から
織師を招き、その技術を広めました。
これが会津木綿の始まりといわれています。
その後の1643年、あらたに会津藩主となった
保科正之(ほしなまさゆき)が、綿花の栽培を奨励した
ことにより、会津木綿は地域産業の大きな柱として
ますます発展していくことになるのです。
当時、会津木綿の機織(はたおり)を、藩士の奥方が
内職としてさかんに行っていた、というエピソードも
あります。
会津木綿がいかに重要な産業であったかが想像できます
よね。
そんな会津木綿ですが、幕末には衰退の道をたどる
ことになるのです。
しかし、明治初期には量産できるようになり復活!
その勢いは現代にも引き継がれ。。。
と言いたいのですが、言えない現実があります。
会津木綿の素朴な風合いや美しい色使いは、民芸品として
愛されていますが、着物としての利用は減少しているのが
実際のところです。
もし、家のタンスで眠っている会津木綿の着物があったら、
どうか大切にしてください。
きっとあなたの貴重な一枚になってくれることでしょう。
(^^)
*最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 *
*二週間後にまたお会いしましょう。 *
意外と知らない着物の話し
第98号 2011/8/24
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
我が家はみな大の果物好きです。
今の季節は桃ですね〜!
先日、福島の桃をもらいました。
福島のスーパーで自宅用に買ってきた、という桃の
おすそ分けです。
都心では考えられないような安さで、しかも「セシウム
未検出につき、安心してお召し上がりください」という
看板がでているにもかかわらず、大量の桃に手を出す
お客はない。。。
というか、店内そのものに客がいない!?
そんな状況だったそうです。
福島の桃は、果肉が柔らかくて甘味が強く、水分が
たっぷりで、とにかく美味しい!!
今回の桃もペロリです(笑)
こんなに美味しい桃が、もし売れ残って廃棄処分、
なんてことになったら、農家じゃなくても悲しい(涙)
そのスーパーが近かったら、毎日のように通って
桃三昧できるのになぁ。。。
今日のテーマ===========
■会津木綿
==================
「正絹はちょっと敷居が高いな。。。」
というビギナーさんにとって、木綿の着物は強い味方
ですよね。
木綿は天然の素材でありながら、絹よりも価格が安く、
自宅で洗うことができ、しかも気取らずに着ることが
できる、という木綿特有の風合いがあります。
そのため、ビギナーさんだけでなく”ベテラン組”の
中にも、根強いファンが大勢いるのです。
木綿の着物が地域産業の一つとして根付いたのは
江戸時代のことです。
福島県会津若松市も、木綿織物に力を注いだ地域の
一つでした。
1627年、会津藩主となった加藤嘉明(かとうよしあき)
は、それまで自身が治めていた伊予松山(愛媛県)から
織師を招き、その技術を広めました。
これが会津木綿の始まりといわれています。
その後の1643年、あらたに会津藩主となった
保科正之(ほしなまさゆき)が、綿花の栽培を奨励した
ことにより、会津木綿は地域産業の大きな柱として
ますます発展していくことになるのです。
当時、会津木綿の機織(はたおり)を、藩士の奥方が
内職としてさかんに行っていた、というエピソードも
あります。
会津木綿がいかに重要な産業であったかが想像できます
よね。
そんな会津木綿ですが、幕末には衰退の道をたどる
ことになるのです。
しかし、明治初期には量産できるようになり復活!
その勢いは現代にも引き継がれ。。。
と言いたいのですが、言えない現実があります。
会津木綿の素朴な風合いや美しい色使いは、民芸品として
愛されていますが、着物としての利用は減少しているのが
実際のところです。
もし、家のタンスで眠っている会津木綿の着物があったら、
どうか大切にしてください。
きっとあなたの貴重な一枚になってくれることでしょう。
(^^)
*最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 *
*二週間後にまたお会いしましょう。 *
